水天宮平沼神社の由緒
社伝に依れば当時、平沼新田は塩田で有り、塩田作業中の村人が、入江に流れついた祠を見つけ、沖に返そうとすれども祠は何度となく岸に戻ってくるので、九兵衛翁に、その事を伝えると、九兵衛翁は、守護神が無いこの地に祀れとの神様の御啓示であろうと感謝し、岸に上げて平沼新田の守護神としてお祀りしました。
祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、水天宮と称し、安産・水の神様として氏子を始め広く横浜村の人々に、横浜の水天宮様として崇敬されました。
その後、明治初期に神社の社格制度が制定され、平沼の鎮守様として指定村社に列せられると共に、名称も水天宮から、平沼神社と改称されましたが、一世紀以上経った今日まで水天宮様の名称で親しまれ、氏子や崇敬者からは水天宮平沼神社と称され有名となっています。
水天宮平沼神社の御祭神
世の中で最初に現れた神様とされており、天地を創った創造三柱の神の内の一柱とされています。世の中の中心を司り、すべての根源とされる神様です。
安徳天皇(あんとくてんのう)
幼くして第81代天皇にご即位されましたが、僅か8歳の時に、源平決戦の場とされる壇ノ浦から、祖母二位の尼と共に、波の下の都へ御身を移されました。入水された後、現在に至るまで、水を司り、子供を守る神様として崇敬されています。
水天宮平沼神社では、安産・水難除・火難除に霊験あらたかな、天御中主神と安徳天皇の二柱の神様を、「安産・水徳の神」としてお祀りしております。
御神威の有難さは、大正12年9月1日の関東大震災時に崩れることなく、更に震災の際、近隣の出火が重なり、四辺猛火に包まれましたが、奇跡的にも厄を免れた事と、昭和20年5月29日の横浜大空襲時には、横浜市内が焦土と化した中、御鎮座された一角だけは焼け落ちなかった事から、氏子に強く語り継がれております。
横浜市街地の神社で、関東大震災と横浜大空襲の2つの大難を免れた事は、極めて稀でした。
水天宮平沼神社史
平成元年に御鎮座150年を迎え記念事業として本殿改築並びに境内整備工事を行い、平成10年には、神楽殿を改築し今日に至っています。