横浜 安産祈願の神社

 横浜・水天宮平沼神社  

水天宮平沼神社

 江戸後期の水天宮

水天宮平沼神社の由緒

 

大正期の水天宮 水天宮平沼神社は、横浜市の表玄関、横浜駅東口一帯の高島町(旧表高島町・長住町を編入し、現在は一部みなとみらい4・5・6丁目と成る)、平沼町、西平沼町、緑町(旧長住町を編入し、現在は一部みなとみらい2・3丁目と成る)の氏神様として、天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神として、現在の横浜市西区西平沼町に有る帷子川(今井川)の、元平沼橋(右下画像では本沼橋と記載)附近の横浜道添に御鎮座お祀りし創建されました。

 万延期の水天宮   社伝に依れば当時、平沼新田は塩田で有り、塩田作業中の村人が、入江に流れついた祠を見つけ、沖に返そうとすれども祠は何度となく岸に戻ってくるので、九兵衛翁に、その事を伝えると、九兵衛翁は、守護神が無いこの地に祀れとの神様の御啓示であろうと感謝し、岸に上げて平沼新田の守護神としてお祀りしました。

祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、水天宮と称し、平沼村の氏神として鎮座致しました。しばらくして神社の前には、横浜村への主要道である横浜道が開通し、開港によって、交易の為に横浜村と江戸を行き来する多くの人々や埋め立て治水事業の為に訪れる人々に崇敬され、安産・水を司る御神威高き横浜の水天宮様として多くの人々に親しまれました。  

横浜港を中心に著しく発展し、鉄道の新設や埋め立て事業が行われ、横浜道の拡張整備の為に、文久3年、平沼村の中心であった平沼家屋敷近くの国鉄平沼駅前に遷座されました。  

その後、明治4年に神社の社格制度が制定され、平沼の鎮守様として指定村社に列せられると共に、名称も水天宮から、平沼神社と改称されました。更に明治39年には、神社合祀令に伴い、近隣に鎮座していた無格社の天満宮・竈三柱神社・稲荷社と平沼家屋敷内に鎮座していた稲荷社を境内末社とする境内整備に合わせて、現在の鎮座場所(平沼2−8)へ遷座されました。今日まで水天宮様の名称で親しまれ、氏子や崇敬者からは平沼水天宮や水天宮平沼神社と称され今に至っています。

水天宮平沼神社の御祭神

龍 天御中主神(あめのみなかぬし)   
世の中で最初に現れた神様とされており、天地を創った創造三柱の神の内の一柱とされています。世の中の中心を司り、すべての根源とされる神様です。

安徳天皇(あんとくてんのう)   
幼くして第81代天皇にご即位されましたが、僅か8歳の時に、源平決戦の場とされる壇ノ浦から、祖母二位の尼と共に、波の下の都へ御身を移されました。入水された後、現在に至るまで、水を司り、子供を守る神様として崇敬されています。

水天宮平沼神社では、安産・水難除・火難除に霊験あらたかな、天御中主神と安徳天皇の二柱の神様を、「安産・水徳の神」としてお祀りしております。  

御神威の有難さは、大正12年9月1日の関東大震災時に崩れることなく、更に震災の際、近隣の出火が重なり、四辺猛火に包まれましたが、奇跡的にも厄を免れた事と、昭和20年5月29日の横浜大空襲時には、横浜市内が焦土と化した中、御鎮座された一角だけは焼け落ちなかった事から、氏子に強く語り継がれております。  

横浜市街地の神社で、関東大震災と横浜大空襲の2つの大難を免れた事は、極めて稀でした。  

水天宮平沼神社史


江戸時代後期・・・・・・・・・平沼九兵衛が平沼の埋め立て事業を開始
天保10年(1839年)・・・横浜道沿いの本沼橋袂に平沼村の氏神として水天宮を鎮座  
文久 3年(1861年)・・・国鉄平沼駅前に水天宮を遷座  
明治 3年(1871年)・・・平沼村の海岸部を高島嘉右衛門が埋め立て高島町・表高島町が氏子と成る  
明治 4年(1871年)・・・国指定村社に列せられ平沼神社に改称  
明治 7年(1874年)・・・平沼村の沿岸部が埋め立てられ緑町が氏子と成る  
明治 9年(1876年)・・・平沼家による埋め立て事業完成  
明治11年(1878年)・・・氏子の平沼村が平沼町と成る  
明治22年(1878年)・・・氏子の平沼町が横浜市に編入  
明治34年(1901年)・・・氏子の平沼町の西側が氏子の西平沼町と成る  
明治39年(1906年)・・・神社合祀令により平沼家稲荷社・天満宮・竈三柱神社・稲荷社を境内末社とする  
大正 2年(1913年)・・・現在の場所へ本殿を移築し遷座、拝殿、神楽殿を新築  
大正12年(1923年)・・・関東大震災の災厄を逃れ平沼家をはじめ氏子の避難所と成る  
昭和 3年(1927年)・・・材木町・仲町が平沼町に編入、尾張乃町が西平沼町に編入  
昭和 4年(1928年)・・・手水鉢を設置  
昭和 9年(1932年)・・・御降誕奉祝記念事業として鳥居を石製に改築  
昭和20年(1945年)・・・横浜大空襲の災厄を逃れ氏子の避難所と成る  
昭和33年(1958年)・・・氏子崇敬者より宮神輿を御奉納頂く  
昭和39年(1964年)・・・手水舎を新築  
昭和41年(1966年)・・・氏子の平沼町が、氏子の平沼1丁目・2丁目と成る  
昭和41年(1966年)・・・氏子の高島町・表高島町が、氏子の高島1丁目・2丁目と成る  
昭和58年(1983年)・・・氏子の緑町にあった三菱造船所跡地を中心にみなとみらい21地区埋め立て工事開始  
平成 元年(1989年)・・・本殿改築・境内を整備  
平成 元年(1989年)・・・氏子の高島1丁目・緑町が、氏子のみなとみらい4丁目と成る  
平成 元年(1989年)・・・氏子の緑町が、氏子のみなとみらい1丁目・2丁目・3丁目と成る  
平成 2年(1990年)・・・氏子の高島1丁目が、氏子のみなとみらい5丁目と成る  
平成 5年(1993年)・・・社務所を改築  
平成10年(1998年)・・・神楽殿を改築  
平成17年(2005年)・・・氏子の高島1丁目・みなとみらい5丁目が、氏子のみなとみらい6丁目と成る  
平成24年(2012年)・・・境内末社の天満宮を改築  
平成25年(2013年)・・・境内末社の稲荷社を改築  
平成26年(2014年)・・・境内末社の竈三柱神社を改修  
平成27年(2015年)・・・境内末社の平沼家稲荷社を改修  

平沼・西平沼・高島・緑町・みなとみらいの鎮守様として現在に至る